大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松江地方裁判所 昭和45年(レ)4号 判決 1975年3月12日

控訴人 柳井雅行

控訴人 柳井ミツヱ

被控訴人 石川幸孝

右訴訟代理人弁護士 遠藤剛一

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人らと被控訴人との間において、控訴人らが島根県邇摩郡仁摩町大字仁万町字石川一、二八三番二の溜池(以下単に上の池という)の水に対し、これを同所一、二九三番の溜池(以下単に下の池という)を通じて、別紙目録記載の控訴人らがそれぞれ所有する田を同目録記載のその余の田と平等にかんがいする限度で、利用する権利を有することを確認する。

被控訴人は控訴人らに対し、上の池から下の池への水の取入口(別紙図面(a)部分に設置された土管、以下単に(a)の土管という)を閉塞してはならない。控訴人らと被控訴人との間において、控訴人らが上の池から別紙図面に南側水路として表示した水路(以下単に南側水路という)を経て西に流れる水に対し、前同所一、二九五番の田に余水があるときに限り、別紙目録記載の控訴人らがそれぞれ所有する田を同目録記載のその余の田と平等にかんがいする限度で、これを利用する権利を有することを確認する。

控訴人らのその余の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審を通じてこれを三分し、その一を控訴人らの負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者双方が求めた裁判

控訴人らは「原判決中控訴人らの敗訴部分を取消す。控訴人らと被控訴人の間において、控訴人らが上の池の水に対し、これを下の池を通じて別紙目録記載の控訴人らがそれぞれ所有する田を同目録記載のその余の田と平等にかんがいする限度で利用する権利を有することを確認する。被控訴人は控訴人らに対し(a)の土管を閉塞してはならない。控訴人らと被控訴人の間において、控訴人らが、上の池から南側水路を経て西に流れる水に対し、これを別紙目録記載の控訴人らがそれぞれ所有する田を同目録記載のその余の田および前同所一、二九五番の被控訴人所有の田と平等にかんがいする限度で利用する権利を有することを確認する。被控訴人は前同所一、三〇二番の田と一、三〇三番一の田との間の水路をその東部(別紙図面の(ロ)部分)において閉塞してはならない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする」との判決を求めた。

第二当事者双方の主張

一、控訴人らの主張

(一)  邇摩郡仁摩町大字仁万町字石川一、二九四番(以下いずれも単に地番のみを記す)、一、三〇二番、一、三〇三番一、同番二、同番三、同番四、一、三〇四番、一、三〇五番、一、三〇六番の各水田は、別紙図面に示すとおり右の順番で東から西へつらなり、さらにその西にある一、三〇七番一、同番四も元は水田であった。これらの水田と一、二九四番の東にある下の池とは、いずれも元は藤間新六、泉武人の共有に属し、一、二九四番、一、三〇二番は石川兼作、一、三〇三番一、同番四は大迫辰男、同番二、一、三〇四番は大畑浅十、一、三〇三番三、一、三〇七番四は水上千代子、一、三〇五番、一、三〇六番、一、三〇七番一は森山清太郎が、それぞれ小作人として耕作し、下の池の水はこれらの田のかんがいのための専用水として利用されていた。

昭和一九年に至り石川兼作以下の右小作人らがそれぞれその耕作していた田を買受けて自作農となり、同時に下の池も右五名共同で買受けて、その水を従前通り使用することになった。すなわち下の池の水に対する水利権は前記の田の所有権に伴う従たる権利となった。その後一、三〇二番は石川兼作からその弟石川隆慶に譲渡され、一、三〇三番一は昭和三七年に大迫辰男から被控訴人に譲渡され、同番四は同年右大迫から控訴人雅行に、同番三は昭和四二年に水上千代子から控訴人ミツヱにそれぞれ譲渡された。下の池の水に対する水利権も田の所有権に伴いそれぞれの田の譲受人に移転した。また大迫、水上が有していた下の池の各持分は、控訴人らがそれぞれ前記の田と共に譲り受け、現在下の池は石川兼作、大畑浅十、森山清太郎と控訴人らの計五名が、それぞれ持分五分の一ずつを持って共有している。

一、三〇七番一、同番四は共に近年に至って埋立てられ、その水利権は消滅した。

(二) 下の池の東にある上の池一帯の土地の旧地番地積は、一、二八二番二〇四平方メートルと一、二八三番一、二七六平方メートルであって、元藤間茂二郎の所有であったが、昭和二三年に同人所有の一、二九五番外数筆の田および一、二九八番の溜池と共に、自作農創設特別措置法にもとづき、被控訴人に売渡された。当時右一、二八二番、一、二八三番の地目は田であったが、実状は荒廃した蓮池となっており、一部は鯉を育てるのに利用されていた。

(三) 右蓮池に湧き出る水は、蓮池の西南隅から流れ出て、下の池の東南隅の現在(a)の土管がある部分が当時溝になっていたので、一部はそこから下の池に流れこみ、その余は下の池の南側に沿い、現在の南側水路よりもやや南寄りにこれと平行していた水路を経て、一、二九四番に注ぎ、さらに一、二九四番の西南隅(別紙図面の(う)部分)から西には当時既に現在と同じ状況の水路があったのでこれを通じて流れ下り、このようにして前記一、二九四番以下の下の池の受益田を直接うるおしていた。

もつともこれらの田に余水があるときは、下の池の受益田ではない一、二九五番にも蓮池からの水を引くことが許されていたが、元来一、二九五番は前記のようにその南につらなる数筆の田と共に藤間茂二郎の所有であって、同人所有の一、二九八番の溜池の水を利用していたので、蓮池の水については余水利用権しか持たなかった。

従って蓮池からの自然流水に対しては、下の池を経由すると否とを問わず、下の池の受益田に優先的利用権があったわけで、かつ下の池にはそれ自体の湧き水がなく、雨水以外には蓮池から流れこむ水しか水源がなかったので、これなくしては下の池はかれてしまう状況であった。

(四) しかし被控訴人が買受けた当時の蓮池の状態では、十分に水をたくわえることができなかったので、昭和二六年に至り、被控訴人の父である前記石川兼作が音頭を取って、同人を含む当時の下の池の受益田の所有者全員と一、二九五番の所有者である被控訴人との連名で、農林水産施設災害復旧事業費国庫補助金の交付を申請し、右補助金六万円の支出を得て、兼作が代表者としてこれを受取り、蓮池の底を深く掘り、堤防を高く築くなどの改修工事を行って貯水量を大きくし、溜池として整備された上の池を作った。

右国庫補助金六万円は工事費用の全部をまかなうに足りる額であり、工事の手伝いに出た下の池の受益田の所有者らには、一般の労務者と同様に日当が支払われたが、兼作も被控訴人も別段の受益者負担をしたものではない。

その後被控訴人は上の池を地方税法にいう公共の用に供する溜池とする地目変更の手続をし、上の池は非課税地となった。

(五) 上の池ができてから後、被控訴人は下の池の南側の堤防を削って従来の水路よりも北寄りに水路を作り、さらに一、二九四番と一、二九五番の間にも水路を設けて西方の水路につなぎ、現在の南側水路の形にした。

上の池の水は蓮池当時の状態と同様に前記(a)部分の溝から下の池に流れこんでいた。現在の(a)の土管は昭和四二年に下の池の堤防を修理したとき、作業に出た被控訴人、大畑浅十、森山清太郎、森山マスコ(森山清太郎の妻)、石川久子(石川隆慶の妻)らが別紙図面の(あ)部分に現存する土管と共に、共同で設けたものである。

(六) 右のとおり上の池は、もともと下の池の受益田が優先的に利用していた蓮池を改修して作られたものであり、しかもその費用は一、二九四番以下の下の池の受益田の所有者全員と被控訴人との共同申請で得た国庫補助金でまかなわれたのであるから、上の池の水はその底地の所有者である被控訴人と本来の水利権者であった下の池の受益田の所有者らが平等に利用すべき筋合であり、現に石川兼作以外の右所有者らは、右改修工事に協力するに当って、それぞれ個別的に兼作または被控訴人から、下の池の水を従来の慣行に従って配分してなお水が足りないときは、上の池の水を下の池を通さずに直接引いて利用できる旨の約束を得ている。

すなわち上の池の水がこれまで通り下の池に入るのを防げないこと、上の池から下の池に入らず南側水路に流れる水については、下の池の水利権を持たない一、二九五番と下の池の受益田とが平等の利用権を有することが協定されたものというべきである。

(七) 仮に右のような約束がなかったとしても、前記のとおり上の池が従前の蓮池をひろげて作ったものである以上、蓮池の水の利用について従来あった慣行は、当然に上の池の水についても引継がれたものと解しなければならない。そうでなければ高地にある上の池の出現によって下の池はその唯一の水源をうばわれ、下の池の水を利用する権利の基礎がくつがえされてしまう。そのような結果を下の池の水利権者らが承認して上の池を作らせるはずがない。

実際に上の池ができてから後、上の池の水が下の池に引続き流れこんだことは前記のとおりであるし、南側水路の水も被控訴人やその身内の田ばかりでなく、一、三〇三番一から四の田にも必要に応じて与えられ、そのことに対して受益田の所有者が被控訴人に対価を支払ったことも要求されたこともなかったのであって、そういう共同使用の慣行が明らかに成立している。

もっとも被控訴人は被控訴人所有の一、二九五番、父兼作所有の一、二九四番、叔父隆慶所有の一、三〇二番をかんがいするについて、上の池の水を誰とも相談なしに自由に使い、これに反して一、三〇三番一以下の田の所有者が上の池の水を使うには、一々被控訴人に頼んで承諾を得ていたのが実情であったが、被控訴人家は二代前から附近一帯の土地を地主の差配人として管理し、溜池の水の管理も一手に握っていたため、現在もその当時からの慣習で上の池のみならず下の池の管理も被控訴人に委ねられており、被控訴人家以外の者が水を使うには、その都度被控訴人に頼まなければならない状況が続いているのであって、もとより被控訴人が何らかの法的根拠にもとづいて優先的利用権を有しているわけではない。

(八) 南側水路のうち上の池の西南隅から前記(う)部分に至るまでの部分の草刈りや掃除は通常被控訴人がしているが、これは共同水利権者各自が自己の水田に接する範囲の水路をめいめい都合のよいときに清掃するのがこの部落の慣習であるためである。右の慣習ができた根拠の一つは、草が家畜の飼料としても肥料としても必要だからである。

水路を共同で掃除することもあるが、きわめて稀なことであり、そういう場合のほかは、他人の水田に接する範囲に立入らないことが不文律になっている。

被控訴人が日常の管理に当っている前記(う)部分までの水路においても、共同作業の必要が生じれば、必要に応じて実行されている。

昭和二七年九月の水害の際には、被控訴人のほかに大畑浅十、大迫辰男、水上千代子、森山清太郎、森山マスコ、石川久子らが、この部分の水路の修理清掃作業を共同でした。昭和四二年にも前記のとおり下の池の堤防を共同で修理し、同時にこの部分の水路の草刈りをし、土管を設けている。

(九) 被控訴人は昭和四三年七月一〇日、上の池の水の下の池への取入口である(a)の土管を勝手にふさいで下の池に水が入るのを妨げ、しかも上の池から南側水路を経て西へ向う水も、被控訴人所有の一、三〇三番一の東南隅附近(別紙図面の(ロ)部分)で右水路をふさいでその先へ流れないようにし、控訴人ミツヱ所有の一、三〇三番三、控訴人雅行所有の同番四に水を入れることを拒んだ。被控訴人はこうして自己所有の一、二九五番、一、三〇三番一、父兼作所有の一、二九四番(耕作者は被控訴人)、叔父隆慶所有の一、三〇二番に優先的に給水し、一、三〇二番の田が満水になると余った水をその西の端にある排水口から流れ出させ、控訴人らの田より西方の下流にある森山清太郎所有の一、三〇五番、一、三〇六番に給水して、控訴人らの水利権を全く無視した。

控訴人らの抗議に対し、被控訴人は上の池の水に下の池の水利権がおよぶことを否認し、上の池は一、二九四番、一、二九五番に給水することを目的として作られたもので、上の池の水を下の池に入れるのは被控訴人自身が一、三〇三番一の所有者として下の池の水利権者の一員であるため、被控訴人の自由意思でしていることであり、上の池から南側水路に流れ出る水も被控訴人が自由に利用できるのであって、被控訴人一家と関係のない田のかんがいについては余水がある場合に好意的に利用させているにすぎないと主張している。

よって控訴人らは被控訴人に対し控訴人らが上の池から下の池に注ぐ水に対し、控訴人らがそれぞれ所有する前記の田を別紙目録記載のその余の田と平等にかんがいする限度で、これを利用する権利を有することならびに上の池から南側水路を経て西に流れる水に対し、控訴人らがそれぞれ所有する前記の田を別紙目録記載のその余の田および一、二九五番の田と平等にかんがいする限度でこれを利用する権利を有することの確認を求めるとともに、被控訴人の前記のような(a)の土管閉塞、南側水路(ロ)点での閉塞という水利妨害行為の差止を求め、本訴におよんだ。

二、被控訴人の答弁および主張

(一)  控訴人らの主張(一)、(二)の事実ならびに上の池が昭和二六年に蓮池を改修して創設されたこと、その際控訴人ら主張の国庫補助金六万円が交付され、被控訴人の父石川兼作がこれを受領したこと、石川兼作以外の下の池の水利権者で工事に加わった者には通常の日当が支払われたこと、上の池の地目が公共用溜池に変更され、非課税地となったこと、上の池の水が控訴人ら主張のとおり一部は下の池に注ぎ、その余は南側水路を経て西に流れていること、被控訴人が控訴人ら主張のように下の池の水の取入口および南側水路の控訴人ら主張の場所を閉塞したことがあることは、いずれも認める。

その余の控訴人ら主張事実中、以下の主張にそわない点は否認する。

(二)  上の池ができる以前、蓮池の水は稲作期間中に限り、下の池の南側に沿う溝を通じて、被控訴人が耕作していた一、二九四番、一、二九五番のかんがいに利用していた。

その余水があるときに限り、下流の田もこれを事実上利用したことはあるが、それは何らの権利にももとづかない恩恵的なものにすぎない。

昭和二五年七月の日照りによる災害で蓮池にひび割れが生じたため、翌二六年兼作が一、二九四番、一、二九五番のかんがいに必要な水を確保する目的で前記の国庫補助金を受領して蓮池の改修工事を実施し、上の池を作った。その際被控訴人らは一家の労力を作業に費すと共に工事に必要な各種資財をととのえた。

その後昭和二八年から二九年にかけて被控訴人親子および石川隆慶らの労力で上の池の拡張工事をした。

上の池の水は蓮池の場合と同様に一、二九四番、一、二九五番のかんがいに利用し、余水は石川隆慶所有の一、三〇二番に流した。このため兼作は昭和三〇年ごろ同人所有の一、二九四番の一部を割いて、上の池から一、二九四番の西境に至るまでの現在の南側水路を自費で作った。

被控訴人は稲作期間中、上の池に余水があればその都度下の池に入れるよう努め、また日照りのときは特に水持ちが悪い森山清太郎所有の一、三〇七番一、水上千代子所有の同番四に上の池の水を好意的に供給したこともあるが、それは上の池の水に下の池の水利権者が何らかの権利を持つことを認めた趣旨ではない。被控訴人が上の池から下の池へ水が入るのを止めるのは、一、二九四番と一、二九五番に必要最少限度の給水をするためであり、また南側水路の流れを止めるのは一、三〇二番、一、三〇三番一に給水するためであって、控訴人らがこれに干渉する権利はない。

控訴人らの請求はすべて失当である。

第三証拠≪省略≫

理由

一、原判決は本件の訴の一部が固有必要的共同訴訟に当るものと解し、下の池の共同水利権者全員が当事者となることを要するものとして、控訴人らのこの部分の訴を却下したので、まずその当否について判断する。

原判決が却下した控訴人らの訴部分は、控訴人らが下の池の共同水利権者の一員として、下の池の水利権が上の池の水に及ぶことの確認と、右権利にもとづく水利妨害禁止を求めるものであって、かつ請求の趣旨中に右共同水利権を有する受益田およびその所有者を列挙して、控訴人らがその中で他と平等な権利を有することの確認を求める部分があるので、右の確認請求は下の池の共同水利権が一定の範囲の権利主体に排他的に帰属し、かつその内部において各権利者が平等の権利を有するという権利関係全体についての確認を求める趣旨を含むもののように解せられないでもなく、そうであるとすれば右のような確認請求は共同権利者であることを主張する者全員が訴の当事者となることを要するものであって、権利者の一部であることが明らかな控訴人らのみでは当事者適格を欠くことになろう。しかしながら前記訴旨は水利権の帰属関係全体についての確認請求を含むものではなく、控訴人らが多数の共同水利権者の一員として有する固有の持分的権利の確認を、それが及ぶ客体の範囲との関連において求めるにとどまるものと解すべきであり、控訴人らの前示確認の訴は適法といわざるをえない。

従ってこれを異る趣旨に解し、不適法として却下した原判決は、この部分につき取消を免れない。

また前示妨害排除請求の訴も前説示の理由により適法というべきであり、かつそもそも右妨害排除請求は、本来保存行為として共同権利者の一人が単独でなし得べきものであるから、控訴人らの前記確認請求の趣旨を原判決説示のように解するにせよ、適法とすべきものであって、原判決がこれを却下したことは誤りであり、右部分もまた取消を免れない。

ところで民事訴訟法三八八条によれば、このように訴を不適法として却下した第一審判決を取消す場合、控訴裁判所は事件を第一審裁判所に差戻すことを要するのであるが、本件の場合、原判決は控訴人らの訴の一部を不適法として却下し、その余の部分については実体について判断しているのであって、かつ右の却下された部分と実体判断を受けた部分とは互いに密接に関連し、歴史的、社会的に不可分な一体をなす事実にもとづく訴であって実体判断を下すに必要な証拠調は、原審においても訴の全体にわたって区別なく行われているのである。

本来民事訴訟法の前記規定が、当事者に審級の利益を失わせないことを目的とするものであることに鑑みれば、本件のごとく第一審裁判所が証拠調の範囲に格別の制限を加えることなく、訴の全部について実体判決を下すに足りる審理をとげながら、たまたまその一部を不適法として却下した場合に、控訴裁判所が右の判断を取消すに当り、必ず右の部分について事件を第一審裁判所に差戻さなければならず、第一審において実体判決を経た部分についてしか実体判決を下すことが許されないとするのは、余りにも硬直した解釈であって、このような場合には控訴裁判所は訴の実質的不可分性と第一審がした実体審理の程度を考慮したうえで、訴の全部について実体判決を下すことも許されると解するのが相当であり、当裁判所はかかる見解にもとづいて前記の原判決を取消すべき部分についても、本件を第一審裁判所に差戻すことなく、実体に入って判断することとする。

二、控訴人らの主張(一)、(二)の各事実は当事者間に争いがなく、原審および当審における検証の結果によれば、右争いのない部分を含めて本件に関係のある土地および水利施設の位置、形状が、別紙図面表示のとおりであることが認められる。

次に上の池が昭和二六年に蓮池を改修して作った池であることも争いがないが、控訴人らは上の池ができる以前、蓮池の水は下の池を経由すると否とを問わず、下の池の受益田の専用水であったと主張し、被控訴人はこれを争うので、まずこの点について判断する。

≪証拠省略≫を総合すると、現在上の池がある地域は、かつては水田であったが、昭和一八年に水害に見舞われ、流れこんだ土砂で埋まり、その後は蓮池とされたこと、この地域はもともと周辺の水が集まるところであり、蓮池に溜まる水はその西南隅にあった排水口からあふれ出て、下の池の南側に沿い、現在の南側水路よりもやや南寄りにこれと平行する形で当時設けられていた水路を経て西に流れたがこの水路と下の池の東南隅との間に溝があり、下の池にも水が入るようになっていたこと、下の池にはこのようにして蓮池から入ってくる水以外には水源がなかったこと、下の池に入らずに西へ向う水は一、二九四番、一、二九五番にそれぞれ溝を通じて入り、一、二九四番に入った水はさらにその西南隅から西に向って当時既に現在と同じ形であった南側水路を通じて流れ下り、これに接する田のかんがいに利用されていたこと、一、二九五番は一、二九四番より高い位置にあり、元来その南側につらなる数筆の田と共に藤間茂二郎の所有で、同人所有の一、二九八番溜池の水によってかんがいされていたが、一、二九五番はこの水系の末端に位置していたので、それだけでは水が足りず、上の池の水にも依存していたこと、以上の事実が認められる。≪証拠判断省略≫

以上みたところによれば、蓮池に溜まった水を前記の経路で下の池に引き入れることは、下の池の水利権者に与えられた慣行にもとづく既得権であったものと認められるが、下の池へ入らずに西へ流れる水については、元来蓮池の底地が一、二九五番と同じく藤間茂二郎の所有であったこと(この点は当事者間に争いがない)を考え合わせれば、一、二九五番に第一次的利用権があり、その余水については、下の池の受益田(いずれももと藤間新六、泉武人の共有であったことは争いがない)において事実上利用していたにとどまり、下の池の受益田の間に権利上の優劣はなかったものと認めるのが相当である。

三、次に昭和二六年に蓮池を改修して上の池を作るに当り、農林水産施設災害復旧事業費国庫補助金として六万円が石川兼作に交付されたこと、その際作業に参加した下の池の水利権者らには日当が支払われたこと、上の池がその後公共用溜池として非課税地になったことは、当事者間に争いがない。そして≪証拠省略≫によれば、次の各事実が認められる。

被控訴人の父石川兼作は、その先代以来の地位として、地主に代って小作地の管理をする差配人の役を勤め、下の池の水を各小作田に分配することも司っていた。農地解放で兼作を含む小作人一同がそれぞれ小作地の売渡を受け、自作農となってからも長年の習慣で下の池の管理は兼作または被控訴人に任されていた。当時下の池の貯水量は小さかったので、日照りが続く時期には水不足になりやすく、その受益田は十分な給水を受けることができなかった。たまたま昭和二五年に日照りによる災害があり、蓮池にひび割れができた機会に石川兼作の提唱で、蓮池を改修して一、二九五番と下の池の受益田全体の水利増進を目的とする溜池を作る計画が立てられ、一、二九五番の所有者である被控訴人と下の池の受益田の当時の所有者全者(石川兼作、石川隆慶、大迫辰男、森山清太郎、水上千代子、大畑浅十)を受益者とし、石川兼作がその代表者となって、農林水産施設災害復旧事業費国庫補助金の交付申請をし、右補助金六万円の交付を得て、これを工事費にあてて改修工事を実施した。前記のように蓮池から自然にあふれ出る水は下の池の水源となっており、蓮池が新たな溜池になって大きな貯水量を持つようになれば、当然に下の池には水が溜まりにくくなる関係にあったが、下の池の水利権者らはその点について異議を述べたり不安を示したりすることなく、むしろ日照りのときには新設される溜池から適宜給水を得られることを期待して工事に賛成し、作業を手伝った。当時被控訴人は森山清太郎に対し「田がやけてどうしてもやれん時には水をやる」同人の妻マスコに対し「日照りのときには恵んでやる」、大迫辰男に対し「下の池の水を先に使い、それが足りないときには上の池の水が使える」などと述べ、石川兼作も水上千代子に対し「水は平等に使える」と述べた。兼作以外の下の池の水利権者らは、いずれも本人または家族が作業に出た場合、日当をもらっており、受益者負担をしなかったが、兼作も工事終了後の会計報告をせず、同人または被控訴人が地盤提供以外の形での受益者負担をしたか否かを明らかにしなかった。こうして上の池ができた後、昭和二七年に水害があり、上の池から水が流れ出る水路に土砂が入って修理が必要になった。そこで被控訴人は下の池の南側に沿う水路をやや北寄りにつけ替え、現在の水路の形にすると共に、上の池の水がそれまで溝を通じて下の池に入っていたのを改めて、新設した水路と下の池とを結ぶ土管を別紙図面の(a)部分に設けた(現存する右土管の内径は二一・五センチで、さらにこれより水路をやや西に下った別紙図面の(あ)部分には内径一五センチの土管が設けてあり、右土管をふさげば上の池の水を容易に下の池に溜められるようになっているがこれより(a)の土管の方が約五センチ高くなっているので、そのままの状態では上の池の水が下の池だけに取られて南側水路に流れなくなることは生じない)。

被控訴人はさらに石川兼作所有の一、二九四番(耕作者は被控訴人)の南側にも田の一部を削って新たに水路を設け、その東西の端を既存の水路につないで一本の水路にした。

被控訴人は昭和三六年に上の池の地目を公共の用に供する溜池に変更する手続をし、この時から上の池は非課税地となった(この事実は争いがない)。

被控訴人は一、二九五番、一、二九四番のかんがいのために南側水路を通じてくる上の池の水を事実上自由に使い、昭和三七年に大迫辰男から一、三〇三番一を買ってから後は、この田にも南側水路の水を被控訴人一人の考えで引くようになった。被控訴人の叔父石川隆慶が所有する一、三〇二番にも必要に応じて南側水路の水が供給された。その余の下の池の水利権者らは日頃は下の池から別紙図面の北側水路を通じてくる水を利用していたが、下の池がかれて水が出なくなると、被控訴人に頼んで南側水路の水を引いていた。被控訴人はこのように上の池の水を事実上管理し、格別の協議を行わないで水の分配をしていたが、水を分けるについて対価や謝礼を受けたことは全くなかったし、被控訴人が水を分けることを拒んで争いになったこともなかった。

南側水路のうち前記の被控訴人が上の池ができた後に新設した部分は、被控訴人が管理して草刈りや掃除をし、刈取った草を牛馬の飼料としていた。その余の部分は当該部分に面する田の所有者が同様に管理していた。もっとも昭和二七年の前記水害の時と昭和四二年には、南側水路のうち下の池の南側に沿う部分の修理作業を被控訴人と下の池の共同水利権者らが協力して行ったことがあった。

以上のとおり認められ(る。)≪証拠判断省略≫

右認定の各事実にもとづいて考えると、蓮池が果してきた下の池に水を供給する役割が上の池の創設によって廃止されたものと解することはできず、下の池の水利権者らは上の池から(a)の土管を通じて下の池に注ぐ水に対して平等の利用権を持ち、何人もこれを妨げることは許されないものというべきである。

また上の池から南側水路を通じて西へ流れる水に対しては、上の池が創設されるに当って、従来被控訴人が待っていた一、二九五番のかんがいのためこれを優先的に利用する権利に影響を及ぼさない限度で、その余の水を下流の一、二九四番以下の田において、平等に利用する権利が関係人の間で設定されたものと解するのが相当である。たとえ被控訴人が南側水路の水を事実上独占に近い方法で管理した事実が一方にあるとしても、上の池の創設に関して認められる前記のような事情のもとでは、被控訴人以外の者の利用がもっぱら被控訴人の好意にもとづいて許されたものと解すべきではなく、被控訴人としては一、二九五番が一、二九八番の溜池から水を引いてなお不足するだけの量の水を優先的に南側水路から取り入れる権利を持つのみで、その余の水は下流の田に平等に利用させなければならず、また上の池の所有者たる故をもって下流の田に配分される水の量を減らす結果をもたらすような行為をしてはならない義務を負っているものと解すべきである。

四、控訴人らがそれぞれその主張の田を、その主張の前主から取得したことは当事者間に争いがなく、従って当該の田が上の池の水に対して右認定の範囲で有する利用権も同時に取得したことになるところ、被控訴人が控訴人らの右権利を争っていることは明らかであるから、控訴人らの本訴請求中、水利権の確認を求める部分は、上の池から下の池に流入する水に関しては全部理由があり、南側水路を流れ下る水に関しては前記のような余水利用権としての確認を求める限度で理由がある(余水利用権の存在を確認することは、平等水利権の確認請求の量的一部と解して差支えない)。

五、被控訴人が控訴人ら主張のように上の池の水が(a)の土管を通じて下の池に入るのを一時止めたことは当事者間に争いがない。前記の認定、判断によれば、かかる行為は下の池に対する控訴人らの水利権を害するものとして、許されないといわなければならない。被控訴人が一、二九五番のかんがいのために南側水路の水を優先的に利用する権利を持っていることは、下の池へ入る水を止めて南側水路にまわすことまでを許すものではない。また前記のように(a)の土管が(あ)の土管よりも五センチ高い位置にあることからすれば、(あ)の土管の内径が(a)の土管より小さいとはいっても、(a)の土管をふさがなければ上の池の水が全部下の池に取られるということは生じ得ないはずである。

本訴における被控訴人の主張その他弁論の全趣旨からすれば、被控訴人が右のような行為を再びすることは当然にあり得ると予測されるから、控訴人らの本訴請求中被控訴人に対し、かかる行為の差止を求める部分は理由がある。

六、控訴人らはさらに被控訴人が南側水路の水を別紙図面の(ロ)部分を閉塞して止めることの差止を求める。

被控訴人が右のような行為をしたことは当事者間に争いがない。しかし≪証拠省略≫によれば、被控訴人の右行為は一、三〇二番、一、三〇三番一に水を引くためにしたものであり、これらの田に水を引くためには南側水路を前記(ロ)部分で一時閉塞する必要があることが認められる。

一、三〇二番、一、三〇三番一が控訴人ら所有の一、三〇三番三、同番四と平等な余水利用権を南側水路の水に対して持っていることは前記のとおりであるから、控訴人らには水の平等な分配を要求する権利はあっても、右のような閉塞行為の全面的な禁止を求める権利はないことになる。けだし(ロ)点での閉塞を全く不可とするならば被控訴人のもつ前記両田の平等余水利用権は行使することができない結果に立至るからである。

従って控訴人らの本訴請求中、右の差止請求部分は、失当として棄却を免れない。

七、当裁判所の判断は以上のとおりであるから、これと一部異る原判決を変更し、控訴人らの本訴請求を前記の正当とする限度で認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 今枝孟 裁判官 山田真也 裁判官草野芳郎は、転任につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 今枝孟)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例